施しを受ける者として

 フェリクス 上原博之
 
突然ですが現在、「上原博之」すなわちこのわたしの年収はゼロ円です。しかし、それも当然と言えば当然なのです。なぜならば「上原博之」は一年中、賃金を得るための労働にはまったく従事していないからです。ところで、世間一般の「常識」とされている生活形態はと言えば、「働いてお金を稼ぎ、それをもって必要なもの(食物、衣類、住居など)を入手する」というものでしょう。つまり、この「常識」からすれば、自らの手による現金収入が皆無であるところのわたしは、日々の衣食にも事欠き、体を伸ばして枕する場さえ持つことができず、昼夜の別なく路頭をさ迷っていたとしても、何ら不思議はない訳です。

 しかしながら、実にありがたいことに、現実のわたしの日常はそうではありません。日に三度、十分な食事を頂き、必要な衣類も一通り揃い、ゆっくり休むことのできる寝室まで与えられているのです。

 これはどうしたことか。生活費を手にする定職に就いていないにもかかわらず、何不自由ない暮らしが可能となっているのは一体どういう訳でしょうか?なぜそうしていられるのでしょうか?答えはひとつしかありません。そうです。多くの方々の善意の賜物、すなわち「施し」を頂くことによって、初めてそれが成り立つ訳です。しかしそんなわたし、他人様からの援助で生かされている身の上でありながら、何事によらず、このわたしにはあまりにも感謝の心が無さすぎます。そして、自分自身そのことで暗澹たる気分に襲われることがよくあるのです。恥をさらけ出す訳ですが今のわたしは事あるごとに、「喜びがない」「平安がない」とひとり嘆息をもらしています。けれども、よくよく考えてみれば、それも至極当然の結果なのです。と言いますのは、ひとり現在の生活を支えて頂いている「施し」に限らず、有形無形のあらゆる恵みに素直に感謝できない、そんないびつですさんだ心に、人としての豊かさを示す指標とも言えるであろう「喜び」「平安」など、芽生える道理がないからです。今のわたしは折りにふれ、自らの行状を振り返っては、「なんでこんなひねくれとるんやろ?」「なんでこんな冷たいんやろ?」「なんでこんなことになってしまうんやろ?」と、頭を抱えてばかりという有様なのです。

 それにしましても、このようにただ自分の思いを記すだけでは、わたしはこれまでと同じ、何ひとつ変わる所のないままです。ひねくれ者で、冷淡で、心底から感謝する事を知らない、哀れな男で終わってしまいます。しかし正直な所、何をどうすれば、口先だけでなく本当の感謝を捧げる事のできる人間になれるのか、今のわたしにはわかりません。やはり「何かする心」「何かできる心」というものは目に見えない御方からの賜物であって、小ざかしい人知から出た試みだけでは、いかんともし難いものなのでしょうか?そして、もしそうだとすれば、わたしにできるのは、ひたすら願い求める事だけです。「あなたのお望みのままに、わたしの心を形造ってください。今、与えられているものが自分にとって不本意で、投げ出してしまいたくなるようなものであっても、可能な限り活用し、いつの日か頂けるであろう善いもののための、下ごしらえともする事ができますように。施しを受けて生かされるにふさわしい、小さく謙遜な者となれますように」。

 わたしの好きな 種田山頭火の日記に、こんな一節がありました。それを記して終わることにします。昭和十五年十月八日付、その死に先立つこと三日前に書かれたものです。 「感謝があればいつも気分がよい、気分がよければ私にはゐつでもお祭りである、拝む心で生き拝む心で死なう、そこに無量の光明と生命の世界が私を待つていてくれるであらう、巡礼の心は私のふるさとであつた筈であるから」。