希望をもって

  進路指導に懸命な先生たちとあまり気が乗らない生徒たち。ある高校の3年生のうち卒業するまでに進路の決まらない生徒が20%近くもいることをあるテレビ番組が取り上げていた。3年生になってからでは遅すぎるので、1年生の時から将来のことを考える機会を提供しようと様々な企画が立てられていた。それにしても、関心の薄い生徒たちが多いのには驚いた。人生の意味を考えさせようと懸命になって働きかける先生たちの姿がなぜか滑稽に見えてしまう。
 何をやりたいのかわからないから、「とりあえず、フリーターをやりながら考える」、「専門学校も考えたが…。勉強したくないし…。」という生徒もいた。「あえて冒険する若者が少なくなってきた。」「失敗や衝突を避けるために最初から関係を持たない、表面的なつきあいしかしない、という傾向が強い。」と言う解説者。いったいこれからの社会はどうなっていくのだろうか、と心配になってきた。生徒たちと先生たちがどこかですれ違っていて交わる場どころか点も見えなかった。この番組を最後まで見なかったので、どのようにまとめられたのか分からないのが残念だった。

 1999年秋、日本管区はフランシスコ会東アジア管区協議会の二つの国際会議を主催した。そのうちの一つは養成担当者の会議。テーマは、「グローバル化した世界における召命促進のための働き」。各管区から養成事務局長と召命担当者が来日した。九月に大地震があった台湾からの代表が参加できなかったが、ぎりぎりにビザを取得したベトナムの兄弟たちが参加できた。
 この会議の中で、現代の若者たちの特徴、価値観などを学び、修道召命に応える招きの働きが持つ課題などを研修し分かちあった。東アジアの五つの国からなるこの管区協議会の養成担当者は毎年交流と研修のために集まりを持っている。今年の会議は2000年秋にアシジで3週間にわたって開催される「召命担当者の国際会議」の準備会の性格も持っていた。
 グローバル化した世界(社会)の特徴として、@伝統的価値観が崩れ、多様な価値観と可能性が提示されている。A経済の分野ばかりでなく様々な分野で国境といったようなボーダーが意味をなさなくなりつつあること。B個人の優先、自由、Cインスタント・コミュニティ化、コンビニエンス・ストア的メンタリティ、D世俗化、などが挙げられる。それぞれネガティブな側面と肯定的側面があり、参加者たちは国や文化、制度の違いを超えてそれぞれの体験を分かち合い意見を交換しあった。
各管区からの報告と講師による研修と分かち合いで明らかになってきたのは、召命促進の働きの課題は、受け入れる側の私たちのほうが大きいということ。召命の多い管区も、少ない、あるいは殆ど「ない」管区にも共通の課題が浮かび上がってきた。@フランシスカン的生き方をどのように提示するのか。A志願してきた若者たちの霊的・人間的成長をどのように支えるか。B養成に関わる兄弟たち自身の養成の必要性と人材不足(専任者が少ない)。Cあかしになる兄弟的共同体の生活と交わりの重要性。

 手を広げて「ここが私たちの修道院です」と世界を指し示したと言われるフランシスコ。ボーダーレスの社会、自然の中での共生、兄弟的関わりと生き方がよりいっそう求められているのがグローバル化した世界。だからこそ、フランシスコ的生き方の仲間になりたいという若者たちが続々やってくる…。これはただの夢想か、妄想にすぎないのだろうか。はっきりしている事は、公にフランシスコの生き方を宣言している私たちの「あかし」の質が問われていることだ。

召命担当 村上 芳隆