主が望まれることを探し求めて

 主の平和。兄弟・姉妹の皆さま、お元気でいらつしやいますでしょうか。
 フランシスコ会の門を叩いて九年、私は去る二月十三日、皆様をはじめ多くの方々の祈りに支えられ、司祭叙階の恵みを神様からいただきました。この場をお借りして、神様と皆様に改めて感謝を申し上げたいと思います。新たに「司祭」としての召命が始まったこと、そして、私の召命が今も皆様の召命と共にあり、今も育まれ続けているこの恵みに、心から感謝いたします。  

 フランシスコ会では、叙階された新司祭に二年間の司祭研修期間が配慮されます。この間に新司祭は主に小教区にて働き、これから生涯にわたって続く司祭職・奉仕職を少しずつ経験しながら学んでいきます。そしてこの春、私は東京・瀬田の神学院を巣立ち、東京の田園調布教会へと派遣されました。司祭の歩みの第一歩として、また一つ新しい共同体が与えられました。

 司祭に叙階されて早三ケ月が経ちました。今、振り返ってみて思うに、本当にあっという間の三ヶ月でした。司祭としての仕事に未だ慣れていないこともあったためか、右も左も分からずに、とにかく全てに関して無我夢中だつたような気がします。実感として、未だ僅か三、四日しか経っていないかのようです。
 ここの教会は信徒総数が約二千人もいるとても大きな共同体です。ですから、着任した当初は、内心叙階された喜びを胸に抱きつつも、様々な期待と不安が混在していました。何分、司祭としての経験も未だなく、また元々人前でものを語ることが苦手な性分のために、正直なところ、こんなにも大勢の人々の中で自分が司祭Lしてどう在ったらよいのかと戸惑いを覚えました。自分は今ここで、神様からどのような生き方に石されているのだろうか。「主よ、あなたは私に、どのような司祭として生きることをお望みでしょうか」。司祭としての私の歩み、召命の第一歩は、そんな祈りから始まりました。

 着任して三週間ぐらい経ったある日の夜、喜びと戸惑いの入り混じる思いの中でこんなことがありました。仕事部屋として使わせていただいている助任司祭室の掃除をしていた時のことです。部屋の外に目をやると、窓越しに映る月夜があまりにも綺麗でしたので、私は表に出て教会のグラウンドの中央に立ち、夜空を眺めていました。田園調布教会の聖堂の上には十字架があり、夜になるとそれはライト・アップされます。私が立っている場所から月を見上げると、その十字架の明かりは丁度月の光と並んで見えました。二つの光は程よくマッチしており、闇夜に佇む教会がその光に照らされてとても美しく見えました。
 その時、足元に何かうごめく気配を感じたので目をやると、そこに一匹の小さな雨蛙がいました。前日の雨で活動を始めたのか、元気良くぴよんぴょん飛び跳ねていました。しばらく見ていると、どうやらその畦はグラウンドを横断している様子で、教会の方からやって来てグラウンドの向こう側にある薮の方を目指して進んでいました。

 私も数歩ばかりその蛙と道を共にしましたが、当たり前と言えば当たり前なこと、私の一歩と蛙の一歩は数十倍も違います。私が一歩進むと、蛙はその後を数十歩遅れて進み、私L足並みがそろいました。その間約数十秒。蛙は一生懸命に前を進んでゆきます。不思議に、とても嬉しくなる時間差です。そこで今度は私の方が後から進み、蛙の歩みにしばしついてゆきました。 一生懸命に飛び進む蛙の後姿がなんだか私を元気にしてくれます。とても心を動かされました。
 私の一歩は主と共に歩む一歩。時にその歩幅が違っても、足並みのばらつきもまた、共に前へと突き進むための新たな力を与えてくれる。私もまた、神様の前で疲れを知らぬこの小さな雨蛙のように、いつも神様に向かって懸命に歩みつづける素朴な司祭でありたい。時におばろげに見えても確かに私の歩みを照らしているこの月の光を忘れずに、神様がお使いになりやすいよき道具として、いつも聖霊に導かれてキリストと共に歩む喜びの司祭でありたい。月夜に元気な蛙を見てそう思いました。

 司祭として自分がどんな生き方に召されているのか。主は私に、どんな司祭であることを望んでおられるのだろうか。きつとその答えは、生涯にわたっていつも、遣わされた共同体それぞれの場で問い続け、照らされて見出し、そしてそのように生かされていく内に体感されていくものなのだと思います。その歩みは全てが召し出しの歩みなのだと思います。
 今はまだ司祭研修期間にある身ですが、いつも全てに感謝することを忘れずに、この体、壊れない程度に喜んで神様と皆様にお捧げしたいと思っています。出会う全ての人々とキリストの福音を分かち合い、何よりもまず私自身、いつも主と出会い続けて歩む者でいたいと思います。与えられた現実に喜んで主と共に留まる、そんな祈る司祭でありたいです。それが今の私の応えです。
主の平和がいつも皆様と共にありますように。神に感謝ー


『いつも喜びを忘れずにいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、神が、キリスト・イエスによつてあなたがたに望んでおられることなのです。』(一テサ5・16‐18)

パウロ井之上 強