ロドス便り

6月29日

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

エーゲ海の小島、ギリシャのロドスを訪ねました。(写真01:ロドス海岸)。トルコから船で2時間足らず、ギリシャからは飛行機で2時間、イスラエルからは1時間半の距離です。昨年の人事異動で、イギリス人の同僚がその地域の責任者となり、休暇を過ごすようにと誘ってくれたので、その好意に甘えました。

日没後、港のベンチに腰を下ろし、身分不相応の境遇に感謝していました。イスラエルからの旅費だけで、世界的観光地で休日を楽しめるのですから。
(写真02:城砦。ぽやーとしていたら、「今晩は」と声をかけられました。女性が一人立っていました。日本人は「自分一人」と思い込んでいましたから、驚きました。聞くと、彼女も一人旅で、前半はエーゲ海クルーズを楽しみ、後半はギリシャ本土を旅するとのことでした。

最近は、日本でもロドスを含むエーゲ海クルーズが有名だそうです。そう言えば、ロドスから高速船で45分の所にシミ島(Simi)のパノルミテイス港(Panormitis)に聖ミカエル聖堂があります。天群の総帥聖ミカエルは悪魔と戦う戦士として剣を帯びています。人々は聖ミカエルの保護を仰ぎ、剣を奉納します。なんと、その中に、日本刀がありました。その向かいには、千成ひょうたんもありました。
(写真03&04:奉納日本刀、シミ入り江)。

座っていたベンチの後は広場です。そこにニーケ(勝利の女神)のブロンズ像があり、碑文には1943年から1945年にかけてのロドス解放闘争勝利を記念するとあります。現在はギリシャ共和国のロドスですが、古代から現代までの歴史は複雑です。中世からは、アジアとヨーロッパ貿易の中継地としての利便性が諸外国の侵略を招き、ヴェニスの支配、トルコの支配を受けることとなりました。さらに、1911年、統一したイタリアに占領され、住民はイタリア語を強要されました。 

島民のイタリアに対する感情を聞くと、それは韓国の日本に対する感情に似ていると感じました。1943年から1945年まではドイツに占領され、この間、1604人のユダヤ人が強制収容所に送られ、受難したと街角に立つモヌメントは語りかけています。

イタリアはロドスをオットマントルコから解放しました。そして、新市街を建設し、イスラム色をそぎ落とし、カトリック化を強力に推し進めました。1928年にはロドス大司教区が復活しました。世界遺産となった旧市街を今ある姿に整えたのはイタリアです。

フランシスコ会のロドスとのかかわりは聖フランシスコが聖地を訪ねた時にまで遡ります。聖人は十字軍の航路、すなわち、イタリアのアンコナからクレタ、ロドス、チプロス、シリアと渡ったと考えられています。その後、聖地がシリア管区に任されたので、ロドスはシリア管区に属しました。現在は聖地特別分管区(Custodia)の管轄となっています。

旧市街に聖フランシスコ教会、新市街に勝利の聖マリア教会、それに、コス島に巡回教会を持っています。新任の院長は英国人なので住民の対イタリア感情から解放されているので、ギリシャ聖職者との関係も良いと言っていました。

軍港広場にイタリア風聖堂を見つけました。
(写真05&06:元カテドラル;ギリシャ聖堂内部)。案内表示はギリシャ語だけです。気になったので、院長に聞いてみました。以前の「ロドス大司教区カテドラル」だったとのことでした。解放後、接収され、ギリシャ聖堂になりました。このほかにも、新市街の修道院の海岸寄り、道路に面した土地も没収され、そこには大きなホテルが建っています。

ロドスは商業港と軍港に分かれていました。その境目に、愛の女神(Aphrodite)の神殿があったことが分かりました。
(写真07&08:ヴィーナス神殿跡;ご神体)

旧市街の「騎士団長の宮殿(Palace of the Grand Masters)」や考古学博物館が中庭式建物なので、コリドール(回廊)修道院様式と気付きました。内部には大小のチャペルがあり、大聖堂内陣や修道院聖堂のベンチが展示され、回廊から入る展示室は修室とみることができました。

私と時を同じくして、アテネ大司教様がロドスに滞在していました。ミサに誘われましたが、ギリシャ語が分からないからと言うと、奉献文をラテン語にし、共同司式の機会を作ってくださいました。ギリシャには400万のカトリックがいるとのことでした。

食事の折、ギリシャ・エルサレム総大主教(Patriarcha)の問題が話題となりました。エルサレムヤッフォ門の二つのホテルをイスラエル極右系に売却したことが公になり、アラブ信者の激しい抗議行動に晒されています。うわさでは、総大主教区シノドスは彼を罷免し、司祭職・主教職から降格させ、修道士に格下げしたとのことです。カトリック教会では司祭職・司教職は秘蹟なので、無効とはせず、問題の司祭が司祭職を執行できなくする罰があります。聖職停止(Suspensio)です。この点を、大司教様に尋ねたら、ギリシャでは「聖職停止」でなく、「降格(Degradatio)」だとのことでした。

ロドス便り補足:
ギリシャエルサレム総大主教問題を取り扱ったHAARETSの記事
"For whom bells toll": http://www.haaretz.com/hasen/spages/591628.html
 

アテネ大司教と院長

 

  ヴィーナス像

 

チャイナ

 
女と蛇女立像