「冬のソナタ」愚考 その一

3月7日

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

江原道は韓国では、一昔前の東北地方に比較されます。開発から取り残され、若者は都会へと出て行きます。

友人の司祭は彼が懇意にしている農家へ案内してくれました。ふじが収穫される直前でした。りんご畑は、日本のように、整然とはしていませんでした。栽培農家はこれから「わいか」に取り組むつもりだと抱負を語り、そして、収穫がすめば、長野に研修に行くとも話してくれました。私の前任地が長野でしたので、そのことを話、研修の成果を祈っていると励ましました。

そして、彼は女性更生施設を案内してくれました。そこは、都会で身も心も傷ついた女性たちが、社会復帰準備のひとときを過ごすところです。彼女らの中には、妊娠し、捨てられ、子供をうむために送られてきた妊婦がいました。家族の関係が儒教の「家制度」に基づく韓国社会では、特に、田舎では結婚していない女性が妊娠した場合、社会の制裁は厳しく、家にも帰れず、その悲惨さは計り知れないと言われています。

しかし、最近では、結婚したカップルの半数近くが離婚し、中には、済州島離婚、新婚旅行直後の離婚もあり、中絶の隠れた数が数百万にも及ぶと嘆く神父様が居ます。そして付け加えます。これらの悪は日本から来たと。豊かさを享受する社会の現象だと言い返したかったですが、打ち消せない、後ろめたさもあります。

ところで、わがヒーロー、チュンサン(ミニヨン)は未婚の女性を母としています。ドラマはフィクションですので、問題とすべきではないでしょうが、韓国社会ではこのケースはどう理解されるのだろうかと「ない頭」を絞ることにしました。

まず、ドラマの舞台を2000年ごろと設定します。高校生チュンサンの死から10年とあるから、主人公たちは25歳を越えた年ぐらいとなります。すると、親たちは1970年代、主人公たちを生んでいます。この時代、「未婚の母」はいたのでしょうか。

こんなことを考えていたら、突然、忘れていた人を思い出しました。終戦の年、女子高等師範の学生でした。その後、家族と共に韓国に戻りました。まもなく、朝鮮戦争。私が出会ったのは1990年代でした。何の話をしていたのか、思い出せませんが、自分が未婚の母であることを明かしてくれました。愛する人の子を宿したと知った時、結婚できなくとも、生み育てることを決意したとのことでした。家族の支援もなく、子を産み、忘れ形見として医者に育て上げました。子育てを終えてからは世から見捨てられて人たちの支援に励んでいます。

最初に愛した人との思い出に生き、未婚の母で通しています。