テロのあと

9月6日

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

 まず、感謝を込めて報告させていただきます。前回、「ある日、突然」で取上げた兄弟についてです。皆様の篤い祈りに全能の神が答えられました。このひと月、歩行は杖一本で自由に動けるほどに回復しました。何回か、キリスト復活大聖堂の行列に参加しています。血色もよくなりました。会話も、まだ、聞きにくいところがありますが、発声リハビリに励んでいますので、いずれ、回復できるのではないかと期待しています。これからも、皆様の祈りで、兄弟の回復を願い続けていただければ幸写真1いです。

さて、8月28日(土)がユリウス暦の8月15日で、オーソドックス諸教会では聖母被昇天祭でした。ゲッセマネの聖母のお墓では二週間前から連日、ミサが捧げられました。まず、ギリシャ教会が主祭壇で、その後、アルメニアが主祭壇、その左でシリア、主祭壇と縦列のところでコプトが同時にミサを捧げます。(
写真1:主祭壇、写真2:コプト祭壇)。
写真2
8月27日(金)はカルヴァリオでの歌ミサは私が担当でした。6時半、「父と子と聖霊のみ名によって」とミサを始めると、大聖堂入り口のギリシャの鐘楼から大音響で鐘が鳴り出しました。カトリックかギリシャが大聖堂で公式祭儀をしている間、それを妨げないと言う「決まり」がありますが、この日は例外です。聖母の葬送記念日です。ギリシャ総大主教館から聖職者たちが行列を組んでゲッセマネまで行くのです。この間、鳴り続けます。ただ、かき消されないように、声を張り上げて、ミサを続けるだけでした。

聖母は十字架のイエスからヨハネに託されました。ヨハネが宣教に出てからも、聖なる婦人たちと共にエルサレムに留まり、この共同体の要であったと思われます。「聖体制定」、「聖霊降臨」の場、教会誕生の地は、古くは、「諸教会の母なる教会」と呼ばれ、ビザンチンになるとそこに「ハギアシオン(聖なるシオン)」が建ち、今の「ダビデの墓」、「永眠教会」、ここで、聖母は亡くなったと言われています。

写真3世界各地で宣教していた使徒たちは聖霊の特別な計らいで呼び戻され、悲しみのうちに葬儀を行い、遺体をゲッセマネの墓地に埋葬しました。葬送行列のコースを特定できませんが、鶏鳴教会に残るエルサレム破壊前の古道を通り、トロペオン谷を渡り、元エルサレムを越え、ケデロン谷に出て、ゲッセマネに向かったと思われます。(
写真3:永眠教会から)。

ギリシャは被昇天祭に先立ち、永眠聖母イコンをゲッセマネに運び、お墓の裏に安置します。(
写真4:聖母のお墓2、写真5:眠る聖母)。このアプセスの奥には聖母子イコンが特別に飾られています。(写真6:聖母子3)

写真4その日の午後、ギリシャの友人が話してくれました。聖母葬送祭儀には、ナザレ、ラッマラ、ベトレヘム、ヘブロン、ガザから信者が来て、一杯、一杯だったと喜んでいました。このところ、自爆テロがないので、イスラエルが巡礼者のため、規制を緩和したと喜びました。ところが、31日、ベエルシャバで、バス二台の同時自爆テロがあり、16人の死者が出ました。翌1日、エルサレムの街角では警察官の姿が目立ち、車の規制、アラブ人の身分チェックが厳しく執り行われていました。

今日3日、ロシア北オセチアでの学校人質事件は多くの犠牲者を残して終わりました。ロシアのプーチン大統領は「テロには屈しない。」と国民に理解を求め、同じ日、アメリカ次期大統領共和党候補者にブッシュ現大統領が指名され、その受託演説で、「テロからアメリカ本土を守る」と強調していました。

パレステイナテロリストが主戦場としているエルサレムに住んでいます。テロがある度に、今回の北オセチアでのテロについても、「力による制圧は反って被抑圧者をテロリストに駆り立てる」とコメントされます。「対話」こそ「平和」への唯一の道です。写真6

しかし、先日、NHKの「もっと知りたい中東―イスラーム世界を読み解くキーワード」を見る機会がありました。ゲストの一人が、イスラエル・パレステイナ問題の本質は「宗教」でなく「領土」と解説していました。同感です。最大の問題は「難民帰還」です。クリントン調停は、パレステイナ側が「難民の『無条件』帰還」を主張したため、成立しませんでした。難民を無条件で帰還させたら、イスラエル国家が崩壊します。四度の戦争に勝ち抜いたイスラエルがこの条件を呑むわけがありません。パレステイナテロリストはイスラエルに「難民無条件帰還」を認めさせるために闘争しています。日本の外交官がこの辺のところを「死闘」と表現しました。どちらかが「力尽きるまで」続くと言うことです。

これまでのIntefada(占領地解放闘争)で、双方の被害は甚大です。分離壁が完成し、アラブ人社会がイスラエル社会から切り離されれば、経済的自立は困難です。パレステイナは国家建設の基盤を失います。すでに、政治的信条実現が不可能と気付きながらも、同胞に過度の犠牲を強い、テロ放棄の決断が出来ない指導者を持つ人々は不幸です。
写真7
8月15日、私たちの聖母被昇天祭、毎年、ゲッセマネ・グロットで聖母被昇天のミサをしています。この日、聖母のお墓では、ギリシャの後、アルメニア、シリア、コプトがそれぞれの祭壇でミサをしていました。しかし、ベエルシャバのテロの後、巡礼者の姿はなく、奇特な婦人が入り口の階段にローソクを立てていました。(
写真7:ローソクを点す1)。

【写真説明】
写真3・永眠教会からオリーブ山の「主の泣かれた教会」から撮りました。右上の尖塔は永眠教会です。キリスト時代、この辺りまでエルサレムは発展していました。左下はユダヤ人の墓です。中央中心の木立の辺りが、City David(元エルサレム)で、神殿の西から下るトロペオン谷と東側のケドロン谷の尾根です。永眠教会と元エルサレムの中間に鶏鳴教会があります。右下の木立の先がゲッセマネです。

写真4・聖母のお墓棺のように見えるのは聖母の遺体を置いた場所を保護する大理石です。ここは一世紀頃のユダヤ人墓地で、ビザンチン時代に「聖母の墓」聖堂となり、今見る聖堂は十字軍が拡張整備したものです。