分離壁―ベトレヘム

6月1日

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

5月14日、分離壁を見にベトレヘムに行ってきました。分離壁は必ずしもパレステイナとイスラエルの境界線上に建設されているわけではありません。所によっては、大分、パレステイナ側に食い込んでいると言われています。このため、パレステイナでは将来の国境になるのではないかと問題視していま写真1:ベトレヘムの壁す。

パレステイナ側に入るにはイスラエル当局の「文書による許可」を取るようにと大使館から言われています。イラクで邦人襲撃事件が多発しているので、事件に巻き込まれ、周囲に迷惑をかけてはならないと心がけています。しかし今回、ベトレヘムのベッサフール(羊飼いの野)から毎日通ってくる、聖墳墓修道院香部屋係り助手のアラブ人に頼み、出かけました。

ベトレヘムのチェックポイントでは4,5台待たされました。彼は「Franciscan Custody of the Holy Land」被使用者IDでチェックポイントを通過しています。私も、「Franciscan Custody of the Holy Land」IDを見せたら、覗き込むだだけでした。パレステイナ側に入って100メートルの行かないところに分離壁がありました。(
写真1:ベトレヘムの壁)。ここはギリシャエルサレム総大主教区の所有と聞きました。イスラエル政府は、二年前、選ばれたエルサレム総大主教を最近やっと信任しました。この間、巷では、イスラエルがこの辺りの土地を欲しがり、信任を妨害しているので総大主教が寄贈したとのうわさが広がっていました。

壁の先はベッジャラで、キリスト信者が多く住む地域です。隔てる道路がヘブロン街道で、右がエルサレム、左がヘブロンです。ベトレヘムに入ってまもなく、パラダイスホテルの前を通りました。ホテル写真2:ベッサフールが改装中でした。一昨年、イスラエル軍が侵攻してきたとき、武装勢力はこのホテルに籠もり、銃撃戦の現場となりました。長い間、放置されたままで、通るたびに悲劇を思い出していました。改装がなり、一日でも早く客で賑わうことを願わずにはいられません。

ベトレヘムでは旅行者、巡礼団と出会いませんでした。寂れてしまいました。彼の家は、「羊飼いの聖堂」の近くで、イスラエルの最も新しい入植地ハル・ホマム(Har Homam)とは谷を隔てて向き合っています。(写真2:ベッサフール)。この入植地は土地の買収問題が起きた頃から気になっていました。この辺りはパレステイナ人が所有していました。イスラエル人はパレステイナ人土地ブローカーを介して手にしました。そしてそこが大規模の入植地になると伝わりました。
写真3:高架
 イスラエル建設会社が測量を始まると、パレステイナ人は体を張って抵抗しました。しかし、警察力に阻まれ、入植地建設は既成事実となりました。その頃でした。かの土地ブローカーは惨殺体で発見されました。このように、際限なく、イスラエルが西岸各地で入植地を広げるので、パレステイナ暫定政府は、すでに、イスラエル人への土地転売を禁じていたのです。イスラエルはイスラエルでロシアからの移住者のため、住宅建設をしなければなりませんでした。

2000秋、今回のIntifadaは始まると、武闘派(過激派)はベッジャラからジロへ、また、ベッサフールからハル・ホマムに銃撃するようになりました。これがエスカレートし、応戦するイスラエル軍の戦車砲での反撃、ベトレヘム占拠と成りました。そして、分離壁建設です。

写真2:ベッサフールは彼の庭先からのものです。左が建設中のハル・ホマムで、右のオリーブ山はパレステイナ人が所有していると聞きました。山腹にアサファルト道路が見えますが、このパレステイナ側には電気が通る分離壁があり、道路はイスラエル軍のパトロール専用道路です。写真3:高架はエルサレム、ハル・ホマムからヘロデイオン(Herodion)、ツコア(Tko‘a)、ヘブロン(Hebron)の入植地に通じるイスラエル専用道路で、下を通る道路はアブ・デイス(AbuDis)、エリコ(Jericho)に通じるパレステイナ側一般道路です。
(NB:写真をクリックすると大きな写真が出てきます)