三寒四温

2月16日

アンジェロ 春山 勝美 神父
Fr.Angelo Haruyama Katsumi, OFM
haruyama@netvision.net.il

黄色小花群2月14日(土)、晴天でしたが、冷たい風が吹いていました。午後にはみぞれとなりました。そして、エルサレムには雪の予報が出ました。翌15日(日)、大聖堂前庭はくるぶしほどの雪となっていました。今年は、まだ、ニューゲート(新門)近くのアーモンドはやっとほころびだした程度です。しかし、ニューゲートを出て南に回り、ヤホ通り交差点近くの露地にはタンポポのような黄色の小花が、植え込みにはアーモンドの初咲きが見られます。(写真黄色小花群、初咲き)。春は確かな足取りで近づいています。

1月の末、ギリシャエルサレム総大主教(patriarcha)がイスラエル政府から承認されたとの話を聞きました。前総大主教が亡くなったのは2001年夏でした。総大主教区で選挙権のある聖職者たちは総大主教候補選挙を行い、上位三人をイスラエル政府、パレステイナ暫定政府そしてヨルダン政府に伝え、適格承認を求めました。そして、シノドス(主教会議)はイレニウス大主教を総大主教に選びました。初咲き

パレステイナ暫定自治政府とヨルダン政府はすぐ選挙結果を承認しました。しかし、イスラエル政府はいまだ承認していません。うわさですけど、前総大主教の晩年、実務を担当していた大主教と土地問題で密約があったとされています。イスラエルにとっては期待はずれの選挙結果だったのです。これまでも何度か土地問題からみの確執がイスラエルの新聞にも載りました。

イスラエル政府がイレニウス総大主教を承認したと聞き、土地問題はどうなったと尋ねました。イスラエルが求めていた土地はベトレヘムチェックポイント辺りとのことでした。総大主教がイスラエル政府の没収を承認したのか、売り渡したのか、貸したのか分かりませんでした。

2月になった昼下がり、陽だまりで友人のドアーキーパが新聞を読んでいました。ふと、覗き込んでみると総大主教の写真が見えたので、土地問題のニュースと思い「どうなった」と尋ねました。「取り戻す」と短い返事でした。「総大主教が」と主格を補いました。その瞬間。パレステイナ人がイスラエルに占領されている国土を「われわれ」は何時か取り戻すとその決意を漏らしたのだと気付きました。

後日談。数日前、ギリシャ正教の友人が私を呼びました。イレニウス総大主教は、まだ、イスラエル政府から承認されていないと話してくれました。そして、いま、総大司教区事務所で聞いてきたと付け加えました。

フランシスコ会にとっては、「最後の晩餐」修道院の例があります。「ダビデの墓」という言いがかりで、1524年、イスラム教徒に没収され、追放され、現在に至っています。立ちはだかる巨大な権力者の下で、指導者は「今」と「将来」をも見据え、「無力な、小さな群れ」を護り導く勤めを負っているのです。これは尋常なことではありませんね。