ムジゲ(虹)の便り

クレト 中村 道生 神父
cletusofm@hotmail.com
Frnaciscan Friary

今年は当たり年か!? ついに「日の出の家」共同体に引越し。

 今年の正月には雪が降り、新司祭で札幌に赴任して以来28年ぶりに雪かきをしたのですが、やはり年ですね、腰を痛めてしまいました。2,3日おとなしくしていなければなりませんでした。旧正月にも雪が降り、雪かきをしてまた腰を痛めました。もう一人の兄弟は滑って愛の骨を折ってしまいました。やっぱりユキ過ぎ、はいけませんね。

 1月30日ついに「日の出の家」共同体に引越ししました。日本26聖人の祝日、2月5日、オ・パウロ管区長の司式で家の祝別もしてくださいました。この日は旧正月後の最初の満月で、韓国では「ポルム」といい大きなお祝いをしますが、祝別と引越しの祝いを兼ねて、20人ほどの兄弟達がお祝いに駆けつけてくれたので、お祝いの昼食は食堂と3人の各部屋に分かれて食べていただくことになりました。

 台所兼、炊事場兼、玄関が一番広く8畳くらい。各兄弟の部屋は4畳から6畳くらいあるんですが、机、本立て、衣類、ふとんなどのために開いている空間は畳3,4枚ていどです。便利なことはほとんど手の届く範囲にありますので、座ったままことが済ませます。祈りの部屋は3畳くらいの広さで、物置だったところを改造しました。

 祝別式の時に朗読された、ヨハネの福音書のイスとの出会いの箇所はすごく印象的で、心に深く入りました。

イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ――『先生』という意味――どこに泊まっておられるのですか」と言うと、イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。

 話は変わりますが、2月7日、ソウルで日本語教師をしている若い青年、藤原さんと二人で38度線の最前線で勤務している従軍司祭のチョウ・パウロ神父に会いに行きました。藤原さんはこの神父さんに日本語を教えたのですが、それがきっかけで公教要理を学び洗礼を受けることに成ったという稀有な人です。

 私はこのときからが運転する「チコ」という韓国でもっとも小さな車に乗っていたのですが、目的地直前に小型トラックに追突され,4重衝突で私達の車は大破支配者の憂き目に会いましたが、私達はシートベルトのお陰で外傷は何もなく、Xレイも取ってもらいましたが異常なしで、二人とも多少首に違和感がありましたが4日たった今はもう何ともなく、相手の保険ですべて処理できたのでほっとしています。

長くなりました。このアタリで止めにしておきます。皆様どうぞ体には気をつけてください。