ムジゲの便り

暗闇の中に光を

クレト 中村 道生 神父
cletusofm@hotmail.com
Frnaciscan Friary

21世紀は9月11日のテロをきっかけに世界は深い闇の中に入っていったように思われます。ある人はこの日から真の21世紀が始まったとも言っています。20世紀は東西対立、国と国との対立でしたが、21世紀は南北の対立、一握りの富める者と無数の貧しいものとのあまりにも悲惨で残酷な戦いとなり、それが繰り返されていくのではないかと不安です。

11月は教会の典礼では死者の月となって、世の終わりの日、キリスト再臨の日、最後の審判についてなどの聖書のみ言葉をずっと黙想してきました。今年ほど現実世界の出来事と、黙示録の世界の描写が生々しく重なって見えたことはありません。

11月18日。年間33主日の福音は特にそうでした。

“ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。『あなた方はこれらのものに見とれているが一つに石も崩されずに他の石の上にのこることのない日が来る。』”

先週の2日の日曜日、パウロは『夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨て、光の武具を身に着けましょう』と語りかけ『争いとねたみを捨てキリストを身にまといなさい』と薦めます。

パウロは『あなた方が眠りからさめる時がすでに来ています。』と語り、主は弟子たちに『だから目を覚ましていなさい。...用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。』と警告されました。

あの9月11日の出来事とそれ以降の世界の動きに、人類は今、目を覚まさなければならない時を迎えているのだと思います。テロの憎しみと、報復攻撃の怒りの裏に闇の世界の支配があることに気付き、これに完全に勝利される方の来臨を待ち望まなければならないのだと思います。

しかし、それは棚からぼた餅のように無気力に待っているのではなく、目を覚まして用意して待つのです。闇の行いを脱ぎ捨て、光の武具を身に着けて待つのです。私たちの『豊かさ、便利さ』を求める今までの生活様式、価値観を捨てて、貧しいキリストを着る時が来たのです。

待降節の今、『今、飢えており、裸であり、傷つき死にかけているこれらの私の兄弟、しかも最も小さいな者にしたのは私にしたのである。』と言われるキリストの言葉に心を傾ける時、21世紀の最初の降誕の場がどこなのかを教えてくださっているのだと思います。